愛ね、暗いね。

あるいは小さな夜の曲

弓張月

青蘆の風分け行けり調教馬 小森泰子

大漁旗先頭に立て盆踊 植田桂子

息づかひ拾ふマイクや盆踊 同上

手花火に父似の顔の浮かびけり 兼久ちわき

岩礁に砕くる波や夜光虫 斉木永久

白樺の影被て涼し野外弥撒 渡会昌広

青萩の躙り口まだ濡れてをり 大上充子

あかね雲星合の夜を燃えたたす 同上 

日を撥ねて風の重たき大でまり一民江

瑠璃蜥蜴走りて青き風残す 同上

玉虫のとびゆく空や藍深く 同上

揚花火待つ昂りの舟の揺れ平田はつみ

海の鼓動素足に踏める砂丘かな 間宮あや子

蹲の空みづみづし四十雀 徳井節子

水無月の波畳まれて座禅堂 同上

踊り見にゆく母の歩のゆるやかに 石本百合子

竹伐って天に一穴穿ちけり 土屋啓

朝顔の裂けて大きな風誘ふ 大谷昌子

三伏の夢に重さのありにけり 同上

消灯のあとの小さな秋灯 同上

島唄の流れてゆきし天の川 城台洋子

二歩目より吊橋揺るる涼しさよ 伊藤ふみ

雲の峰練習船の帆の鳴りて 小坂優美子

鹿島槍の槍にこぼれて星涼し 河野亘子

胸に受け笹の香青き鉾粽佐藤保子

 


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青松輝 丸田洋渡試論 を読んで 雑感

別のところでみる夢-丸田洋渡試論 - アオマツブログ (hatenablog.com)

面白い試論だった。俳句における新人賞の扱いはどうなのか?

生活感が顕わな作品は飽和状態で,受賞を逃す傾向にあるとまでは言い過ぎか。

夢的なものは,わからない,理解を拒絶しているということで,現代俳句協会よりの新人賞では作られるが,必ずしも俳壇のメジャーではないのではないか。

では,叙景的なものに回帰しているかというと多分そうでもない。

こうした中で俳句の目指す先はどこにあるのか。手触りみたいなものを確かに感じる作品があることは確かだ。新人賞をさておいても,少しく思わされるところがある。以上雑感まで。

 

浅蜊 ががんぼ 紫 白


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むらさきが支へて春の虹立てり 細谷喨々

うすものの重り合ひて濃むらさき 山口青邨

紫は水に映らず花菖蒲 高濱年尾

地平線に一番近いラベンダー 前田弘

磨崖仏おほむらさきを放ちけり 黒田杏子

初なすび水の中より跳ね上がる 長谷川櫂

山晴れが紫苑きるにもひびくほど 細見綾子

むらさきふかめ葡萄みづから霧まとふ 野澤節子

サフランや映画は昨日人殺め 宇多喜代子

 

緑蔭や矢を獲ては鳴る白き的 竹下しづの女

白露や死んでゆく日も帯締めて 三橋鷹女

白地着て血のみを潔く子に遺す 能村登四郎

さるすべりしろばなちらす夢違ひ 飯島晴子

母の日のてのひらの味塩むすび 鷹羽狩行

寒き日や胸中白く城が占む 鍵和田秞子

雪中に白したたらす鷗の死 宇多喜代子

 

わが言へば妻が言ひ消す鉦叩加藤楸邨

書いてゆくひとつのことに鉦叩 中村汀女

いねがての潮騒のなか鉦叩 佐野まもる

きりぎりす潮よりしづかなるはなし 山口誓子

子らとまたながき八月きりぎりす 百合山羽公

はたはたに影及ぼせば飛びにけり 中村草田男

秋の蚊の子をなさぬ血は薄からむ佐野美智

秋の蜂影と別れて去りにけり 右城暮石

秋の蜂やすらひし辺の濡れてをり 能村登四郎

瀬をのぼるうすきひかりの秋蛍 石原八束