愛ね、暗いね。

あるいは小さな夜の曲

人文科学

国吉康雄

クニヨシブラウン クニヨシホワイトのユニヴァーサルな価値 何人にも見える

片岡真伊『日本の小説の翻訳にまつわる特異な問題』(中央公論新社、2024年)を読む

ぐいぐいと読まされた。もともと好きな小説ばかりであったというのは、私の場合、大きいかもしれない。 ・優れた総論が置かれていて、これから始まる各論が素晴らしいものであることを予感させる。問題提起が素晴らしいということは、問題の把握が十分なる思…

恵方巻

はりはりとセロファンは鳴り花束の多く行きかふ街に風吹く 横山未来子 樹下に餌を隠す鴉のゆふやみよ言葉かぶせてひとのゆふやみ 小原奈美 口語「た」に代わる短歌における「ぬ」の重用 高良真美 口語の中に投げ込まれた文語の異物感は、発話の自然さを壊し…

ルソー『言語起源論』

人間にものを言わせた最初の動機が情熱であつたとすれば、その最初の表現はたとえであつた。比喩的な言い方が最初に生まれたのであり、語の固有の意味は最後に見出された

ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』

ジャンルを創設するか、廃棄するかのいずれかであり、完璧な作品にあつては、その両方が一体になつている

ルソー 言語起源論

最初の言語は比喩的でなければならなかった。

カント 実践理性批判

ここに2つのものがある。それは我々が、その物を長く思念すればするほど、新たな感嘆と畏敬の念を持って我々の心を余すことなく充足させるものだ。つまりそれは私の上なる星を散りばめた天空であり、私の内なる道德法則である。私はこの二つの物を暗黒に閉ざ…

小平奈緒

考えを言葉にするという空間をみんなで共有することで、言葉に深みが生れ、思考も育まれました。

江成常夫 

鎮魂の心、弔う心をもって写真を撮ってきた。 社会や歴史観、それが奥にないと、相手をどう撮ったらいいかわからない。 見えない部分を映し出すのが写真ですから。

平井照敏 俳句の音楽 s54.10俳句開眼

短い詩型は一種の暗号で、短い形で、最大の拡がりを持とうとする

萩原朔太郎

詩は真実のことを嘘のやうに言うものだ

藤田湘子 私詩からの脱出 s45.4俳句

伝統とは、受け継いだ遺産の上に、その時代の新しい息吹をつぎこんで、時代の要請に応え得るいとなみだ

俳諧大要 正岡子規

空想と写実と合同して一種非🈳非実の大文学を製出せざるべからず

秀作の秘密 飯田龍太 昭和42年4月23日毎日新聞

いちばん大切なことは、じょうずな俳句を作る方法はあるが、立派な俳句の作り方は教わりようがないということ。 それをみずからのこころの中に捜し求めているひと。そのひとが、俳句の秘密を知った人だ

十口抄 宗祇

凡そ歌人と云は、ただ情欲を離れ、心を空虚にもちて、いささかも執をとどめざらんことなり。されば歌人たらんは人は、花に対して花を見、月に望みては月をあはれみ、当一念一念の風景をあはれみて、二念ヲとどめざるべきなり。ただ歌人は、儚きを下とすべき…

佐藤鬼房「俳句の風土性にふれて」s38.3俳句

風土というものは、人間のあるかぎり、歴史的な時間性がかかわってあるものだ。私にとって、風土は人間の生成する地盤のあらゆるものを指したい。 俳句も風土や歴史を除外しては考えられない。 歴史的な、人間的な地盤の絡み合う風土が詠われてもよいと思う…

「俳句の造型について」金子兜太 昭和32.3及び32.3「俳句」

「造型」は直接結合を切り離し、その中間にー結合者としてー「創る自分」を定置させようとするものなのです。そして、その場合「観念投影」者たちの「自己という人間」の表現に払われた努力と、新興俳句の人達の構成操作の着目の双方が、是非とも引き継がれ…

高村光太郎「造形美論」

(造形美とは)すべてそういう類の生命感をそれぞれの技術によって得ようとすることである。

金子兜太 俳句と社会性(アンケート)s29/11「風」

社会性は「素材」なりとする意見は、社会的事象が意識的に素材として採り上げられる、その現象面のみをみたもので、根本を見ていない。ただ、この意見から教えられるのは、そざいとしてのみ扱う者に対する警告としての意味である。感動がないから、スローガ…

秋元不死男 「もの」と俳句 s29.9「俳句」

俳句をつくるときはまづ俳人にならなくては駄目なのだといふ。俳人になるといふのは、完成を目指して俳句をつくる詩人になるといふことであります。 象徴ではなく「もの」の生命感をつかまへようとしてゐる。

「風景俳句」楠本憲吉 (s28.4「俳句」)

今日の風景俳句とは、畢竟感性的なリアリズムの上に立ち、浪漫詩的精神の場に繋るものであらねばならない。

クロノスの舌 富沢赤黄男 薔薇 s28.1〜

「寓意」は常識的であり、「象徴」は非常識である。 俳句の「滑稽」は往々「寓意」の常識性の場を指して居る。が「象徴」はむしろ「痛苦」であり、間隙を辞さぬ烈しい応射である 「寓意」は妥協的であり、「象徴」はむしろ拒否的でさへある。 象徴は間接的な…

福永耕二

美は感動を孕む沈黙である (「沈黙の詩型」より)

福永耕二 「沖」昭和46年5月号 「秋櫻子と蕪村」

伝統とは古いものの中に僕らがよい物と認めて継承する対象であり、それを現在の僕らの生き方の中に生かす精神であり、後世に遺すべき僕らの成果でもある。

根源俳句管見 神田秀夫

すべての知性の根底には感性がある。価値は一つの仮説、理想に基づく判断であり、すべての認識は、その仮説、方向を選ぶことを前提とする。これを選ぶものは感性であり、意志である。知性は冷却せる感性である。制止せる情緒であり、興奮せざる意志である。

詩経

詩は志のゆくところである

赤城さかえ 「草田男の犬」

戦争は、実に克明にすべてのものの本質を暴け出させた。が、さらに戦後の混乱期はその戦争さへがあばき出せなかったものの本質をも克明にさらけ出させてゐる。 もとより作家の思想といふものが作品の価値を決定するのは、その思想の位置そのものではなく、そ…

尾崎紅葉 『秋の声発刊之文』

俳諧久しく衰へたりと雖、人間は恋無常の古の哀を尽し、地は山水生植の姿を今に改めず、天象は二句より万世に続きて、月は定座を長へに、春は長閑に霞み、秋は寂しう雨降る夕、斯道の好(き)人ども聴雨の燈下に会して、乱吟の仮初に戯れしも、彼は風調のを…

芭蕉雑談 正岡子規

一人にして二百の多きに及ぶ者古来稀なるところにして、芭蕉叉一大文学者たるを失はず。 芭蕉の文学は古を模倣せしにあらずして自ら発明せしなり。貞門、檀林の俳諧を改良せりと謂はんよりは寧ろ蕉風を創開せりと謂ふの妥当なるを覚ゆるなり。而して其の自流…

青松輝 丸田洋渡試論 を読んで 雑感

別のところでみる夢-丸田洋渡試論 - アオマツブログ (hatenablog.com) 面白い試論だった。俳句における新人賞の扱いはどうなのか? 生活感が顕わな作品は飽和状態で,受賞を逃す傾向にあるとまでは言い過ぎか。 夢的なものは,わからない,理解を拒絶している…