愛ね、暗いね。

あるいは小さな夜の曲

井上靖

洪水のように 大きく激しく 生きなくてもいい 清水のようにあの岩蔭の 人目につかぬ滴りのように 清らかにひそやかに自ら輝いて 生きてもらいたい

西原裕美 心待ち

降れば これは新しい場所 小さな粒を初めて見て 一つ一つが 違っていることに気づいたの 重さも軽さも 落ちてく角度も 異なって ずうっと待っていた 足がうずうずするぐらい 空ばかりを眺めて 手放したものと 手に入れたものを思いました。

西原裕美 アラマンダ

初めて 気が付いた 何年もあなたが 痩せた身体と 猫っ毛な髪のまま ここに居たこと ・・・ 誰もいないと思った世界に あなたが居たんだって事実が 歯の奥が緩んで 初めて殺される夢を見なくなるぐらい 言いたくない さようならを言って まだ愛しているし、ま…

吉野弘

花が咲いている すぐ近くまで 虻の姿をした他者が 光をまとって飛んできている 私も あるとき 誰かのための虻だったろう あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない

ゲーテ ひとつの譬喩

このあいだわたしは牧場から花束を摘んできた、 だいじに家にもちかえったが 手のぬくみで 花はみなぐったりと萎れていた。 けれどそれを爽やかな水をたたえたコップに挿すと なんという奇蹟! 花々は頭をもたげ 茎や葉は緑にかがやき どこもかも力みなぎり…

竹 萩原朔太郎

ますぐなるもの地面に生え、 するどき青きもの地面に生え、 凍れる冬をつらぬきて、 そのみどり葉光る朝の空路に、 なみだたれ、 なみだをたれ、 いまはや懴悔をはれる肩の上より、 けぶれる竹の根はひろごり、 するどき青きもの地面に生え。

Bruit de l'eau / su de l'eau Ombre d'une feuille su une autre feuille

晦日蕎麦

金星から見ると この地球は どんなふうに見えるのだろう やはり空のなかほどに一つだけ 凍りつくようにふるえているのか 身内の闇をもゆり動かす星の瞬きは 孤独な天体同士が交わす通信だろうか 心のうちにバッハのオルガン曲が流れ 小川のせせらぎに水草が…

「他ト我」北原白秋

二人デ居タレドマダ淋シ、 一人ニナツタラナホ淋シ、 シンジツ二人ハ遣瀬ナシ、 シンジツ一人ハ堪ヘガタシ。

ヨン・フォッセ『だれか、来る』

Alone together Alone with each other Alone in each other

ふくろう 木下夕爾

まいにち まいにち 私の胸まで来て啼いてゐた ふくろうよー あれはとうさんではなかつたらうか

ひばりのす 木下夕爾

ひばりのす みつけた まだたれも知らない あそこだ 水車小屋のわき しんりょうしょの赤い屋根のみえる あのむぎばたけだ ちいさいたまごが五つならんでいる まだたれにもいわない

冬の月

すべてのものにはひびがある。 そしてそこから光が差し込む。 レナード・コーエン

金子みすゞ

上の雪 寒かろな。 つめたい月がさして居て 下の雪 重かろな。 何百人も乗せて居て。 中の雪 さみしかろな。 空も地面(じべた)もみえないで。

地獄の季節 アルチュール・ランボー

また見つかった 何が 永遠が 海と溶け合う太陽が

リルケ

「薔薇の水盤」 花びらは大空のひかりを透さねばならぬ 千の空からこぼれ落ちる翳の一滴一滴をしずかに濾過しながら すると空の火焔の中に花粉をつけた雄蕊の束がゆらゆらと燃え上がるだろう

吉岡実「聖家族」

美しい氷を刻み 八月のある夕べがえらばれる 由緒ある樅の木と蛇の家系を絶つべく 微笑する母娘

煙突の林立静かに煙をあげて戦争の起りそうな朝です 橋本夢道 御嶽山の水を分かちて馬洗ふ 河野亘子

北原白秋『雀の生活』

雀を観る。それは此の「我」自身を観るのである。それは此の「我」自身を識ることである。雀は我、我は雀、畢竟するに皆一つに他ならぬのだ。

『通俗書簡文』樋口一葉

胡蝶の夢のまだ覚めぬ間に、花は青葉に成り申し候

デニス・オドリスコル

どこまでもしなやかに、空は 全方位へ実体を伸ばしてゆく いつしか透明な空色を帯びて 継ぎ目も縫い目もない空間に満ちわたる

イェイツ 学童に交じりて

踊り子と舞踏をどうして切り離しえようか。

カーソン・マッカラーズ

東の空は冬のゼラニウムの色に染まった。

勧 酒  (于武陵)   

原文 (書き下し文) 勧君金屈巵 君きみに勧すすむ 金屈巵きんくつし 満酌不須辞 満酌まんしゃく 辞じするを須もちいず 花発多風雨 花はな発ひらけば 風雨ふうう多おおし 人生足別離 人生じんせい 別離べつり足たる 井伏鱒二と「サヨナラだけが人生だ」(勧…

八木重吉 雨の日

雨が すきか わたしはすきだ うたを うたわう

いのちひさしき 三好達治

いのちひさしき花の木もおとろふる日のなからめやふるきみやこの春の夜にかがり火たきてたたへたる薄墨さくら枝はかれ幹はむしばみ根はくちぬみちのたくみも博士らもせんすべしらに枝を刈り幹をぬりこめたまがきにたて札たてて名にしおふ祇園のさくら枯れん…

カント 実践理性批判

ここに2つのものがある。それは我々が、その物を長く思念すればするほど、新たな感嘆と畏敬の念を持って我々の心を余すことなく充足させるものだ。つまりそれは私の上なる星を散りばめた天空であり、私の内なる道德法則である。私はこの二つの物を暗黒に閉ざ…

死民たちの春 石牟礼道子

ときじくの かぐの木の実の花の香り立つ わがふるさとの 春と夏のあいだに もうひとつの季節がある

小平奈緒

考えを言葉にするという空間をみんなで共有することで、言葉に深みが生れ、思考も育まれました。

虚子俳話 s34.1

旗のごとなびく冬日をふと見たり 高浜虚子 庭に佇んで居たときのことである。大空には冬日が小さく固くかかっていた。 風もなかった。 音もなかった。 鳥も飛ばなかった。 人も居なかった。 私が頭をめぐらした瞬間に今まで小さかつた冬日が大きな旗のごとく…