第1 雑記
- レビュー3作品目はFlower Travellin' Band『SATORI』(1971)。邦楽ではあるが、このバンドおそらく日本では知名度が低い。むしろ、カナダでチャートインしているように、加米での評価の方が高い。
- 本作品は,同バンドのオリジナルアルバム第2作。メンバーとしては、数年前に死去したが、ジョー山中が目立つ。バンド自体の演奏力はかなりのレベルで、特に石間 秀機のスライドギター/シタールは欧米のハードロック・プレグレに遜色ない。また、プロデューサーの内田裕也の関与が大きい*1。
- 久々にレビューを書こうと思ったのは、去年の年末の紅白を見ていて、義父との会話に触発されたから。義父がKinKi Kidsの『硝子の少年』を見ながら、作詞が松本隆、作曲が山下達郎だ。日本のロックの走りは、ナイアガラ(大瀧詠一)だ。そして、この曲はナイアガラサウンドを支えた二人の直伝なんだ、とおっしゃる。私は、はっぴいえんどの話をしながら、話を合せていたが、それは勝者の歴史だな、と内心忸怩たるものがあった*2日本語ロック論争の敗者にも、こんな作品があるのだということは記録され、記憶されてほしいと願う。
- 日本語ロック論争とは何か。60年代終わりから70年代頭にわが国で起こった、ロックは日本語でやるべきか、英語でやるべきか、という論争のことである。そもそも、なんでこんな論争が生じるのか。少しふり返ってみよう(なお、下記は大まかな流れを示したもので、一部の例外があることは当然である)。
- 欧米のロックシーンをふり返ると、50年代のエルビス・プレスリーが一際目を引く。華やかさを備え、Kingと呼ばれた彼は、ロックの象徴であった。そして、この流れを受けて、60年代はおおむね、ビートルズに音楽が象徴される。ビートルズの初期は、ロカビリーの影響をもろに受けながらも、from me to youなどに代表される軽めのpop時代があった。さらに、中期以降は徐々に音楽性を広げ、70年代以降のすべてのロックの原型を見つけることができる*3。70年代は模索の時代だ。ロックとは何かを追究して、Led Zeppelin、Black Sabbath、David Bowie、Sex Pistols等が現れる時代なのだ。
- 日本も欧米同様に60年代終わりから70年代頭、岐路に立たされることになった。当時の我が国の音楽の主流派はフォークであり、日本語ロック論争はロックの復権のために、日本語と英語の歌詞どちらがよいかという側面での議論でもあった。結果は、現在のJ-Popシーンを見ての通り、日本語で歌詞を歌うことは当たり前のこととなっている(また、フォークを聴く若者はほとんどいない)。これには、はっぴいえんどやナイアガラの商業的成功が大きかった。そういう意味で、現在のj-popシーンは勝者の血脈を知らずに引いている。たとえ、一部のj-rockでは、折衷的な歌い方をしているとしてもだ*4。私は、それが良いとも悪いとも思わないが*5、内田裕也が全面的に英語詞でロックをやることを主張し、このバンドをプロデュースし、ここまでのものを築き上げていたことは特筆されてもよいと思う。
- さて、評価方法は承前。
ブログコンセプト - 愛ね、暗いね。ちなみに、年末の紅白といえば、THE YELLOW MONKEYが問題作『JAM』で初出場した。昨年の同バンド復活のころから、当ブログのこの記事も急激なアクセスの伸びを記録し続けている。
第2 CDの評価
1 各曲の評価
- SATORI PART1
★★★★★
(1)冒頭
完全に頭からノックアウトしてやろうという密度の濃さ。熱量。壊れたかと思う、最初の7秒の音で「なんだ」と気を引き、軽めの金属音で間をあけてからの、20秒目からのジョー山中の高音での叫び声はまごうことなきプログレの入り方だ。やられる。さらに、徐々にベースの音階・ドラムのハットの数が上がりゆき、53秒から疾走する。ここも同じリフをくり返しながら音階をあげていく。1分5秒からのベースで何かが来ると予告。1分10秒からは高音のヴォーカルが煽ってくる。逆にここまでで合わなければ、すべて合わないので聞くのを止めた方が良い。
(2)コンセプトアルバム
ア SATORI=悟り、というコンセプトで貫かれている点もプログレ調だ。このアルバ
イ また、「悟り」というコンセプトを貫徹するための東洋的・インド的な音階は、ラーガ奏法に基づくインドの音階だ。統一感も高評価。
和に寄り過ぎず、欧米にも寄り過ぎず、独自性がある。
(3)ヴォーカルの工夫
1:50からの歌詞部分は、かえってヴォーカルの音程を下げているのもよい。3オクターヴは行けるという、ジョー山中ならではの芸当。この辺は、ロバート・プラントを思わせる。
2.PART2
★★★★★
(1)概要
この曲がシングルカットされ、カナダのチャートに入っている。しいて言えば、Black Sabbathの『The Wizard』と曲調が似ているが、唯一無二の世界観だ。
(2)全体の構成
There is no up or downで始まる歌詞。高音ながらも異様な熱を持った振り絞るがごときヴォーカル。音階の独特なスライドギター、時に流れる太鼓のような音と首飾りのような金属音。ベースは一定だが、不安を煽る旋律だ。ドラムもかなり変わったテンポを刻んでいる。
すべてが混ざって、最後の締めにつながる構成は、本アルバムのハイライトにふさわしい。
3 PART3
★★★
(1)冒頭
part2から一転、静のパートだ。最初に鳴り響く鐘の音はAC/DCのHells Bellsを思わせる。
(2)リフ
その後は、同じように後で鐘の音のようなベースとドラムが続きながら(これも遠ざかったりしながら近づいたりしながら)、ギターがほぼ同一のリフをアレンジしながら、高音で弾き続ける。
(3)展開~締め
前半は少しくどいが、琵琶法師が諸行無常を唱えているようで、独特の味わい深さがある。それよりもこの曲は中間部のギターが好きに疾走している点が好きになれない。コンセプトから外れており、テクニックは認めるが、ここは石間の自己満足と評価する。最後のまとめ方は見事。
4.PART4
★★★★
(1)冒頭
優しいのだ。このアルバムで一番心地よい響きだ。だが、騙されてはいけない。
カッティングで始まる奏法はに何かが始まる兆し。
ギターがリフを刻み始め、ドラムが裏拍をウッドペッカーのように叩き出したら、
ヴォーカルが来る。見事な構成だ。
(2)展開
この曲は割とワンパターンで、展開に欠けるのが残念だが、4分過ぎたころにハーモニカ?で泣きのフレーズが入る。
さらに、7分頃のギターは超絶技巧だし、一瞬の静寂を作っているのもうまい。
(3)締め
他の曲に比べると、ライブ感があり、ある意味手ぬるい。
5.PART5
★★★★
(1)冒頭
ギターの疾走に身を任せなが、何が起きるのか楽しみなような不安なような気持になる。着地したと思ったら、ギターがちょいちょい煽ってくるので、51秒までは気が抜けない。
(2)展開
1分過ぎからヴォーカル。高音でお経のような声を上げる。特に、2分30秒前後の無音での叫びは、ヴォーカルさえも一つの音と見ている感じが良い。ただ、その後若干展開に乏しく冗長か。ピアノかハープと思われる音が浄土的でよい(5分過ぎ)
(3)締め
再び冒頭部。そして、『Moanin'』(Art Blakey and the jazz messengers)のようにドラムとギターが掛け合いをして(あるいは教会音楽的)、最後シンクロして、銅鑼がなり、水が流れる音がするというのは涅槃的な終結でよいと思う。
6.裁量点
(1)アルバム全体
悟りという一貫したコンセプト。すべてつなげた組曲性(コンセプトアルバム性)、日本における歴史的意義を踏まえて、Black Sabbath等の影響を差し引いても、★4.5を裁量点とする。
⑵その他
なし。
第3 CDの総合評価
⑴計算式
ア5+5+3+4+4+4.5=25.5
イ25.5÷6=4.25
ウ4.25×2=8.5
⑵結論
名盤。
*1:今や樹木希林の夫で、「んーロックンロール」と言っている変なオヤジとしての認知度しかないだろうが
*2:そういえば、最近読んだ芥川龍之介に『西郷隆盛』なる短編があり、この観点から面白い作品だった
*3:revolver以降の多彩な楽器使用、sgt.peppersのサイケ、whiter albumの現代音楽・プログレ、helter skelterのHRHM。パンクはビートルズへのアンチテーゼととらえるのが相当だ
*4:もちろん、全英語詞のバンドがあることは知っている
*5:結局、音楽的によければよいのであって、歌詞を何語で歌うかはたいした問題ではない。歌詞は音を届ける手段に過ぎない
*6:特にKing Crimsonの影響を見て取れる