愛ね、暗いね。

あるいは小さな夜の曲

根岸善雄先生長逝

『塔』第五集 根岸善雄集より

「『青渦』のあとがき」に作句の目標として、「内をつねに勤て物に応ずれば、その心のいろ句となる」(赤冊子)と書いた。この気持ちは今も変らないし、今後も試行錯誤しつつ、模索してゆきたいと思っている。

現在も心がけていることは、一つの句材をとらえたとき、それを原風景として、そこに自分の持つ新しいイメージを加えることにより、新しい景を作り上げ、それを俳句という短詩型の中にどう表現するかという事である。

まなうらにひかり遺れり雁帰る

土均しけり啓蟄の庭に出て

万蕾の中さきがけの一花あり

草かげろふ月明に翅透きて飛ぶ

降ろされて目玉ばかりの鯉幟 

影かさね合ふ白樺に五月来ぬ

慈悲心鳥霧まとふ樹々鳴き移る

てのひらの空蝉に風生れけり

落葉松の天の絹雲秋立てり

月明の落葉松は音立てて散る

月明に炎(ほ)立つ落葉松黄葉かな

富士暮れしあとの臘梅月夜かな 

落葉松に雪降る音を聴く夜かな

膝つきておのれの影に芥子蒔けり

花のあと落葉松の空遂し

立春の筑波嶺靄を統べて立つ

せせらぎに木漏れ日淡し水芭蕉

山の端の太白炎ゆる軒菖蒲

暮れてより潮騒つのる籠枕

邯鄲のこゑ断つ驟雨到りけり 

降る雪や諸膝つきし脇侍仏 

初雁の空の薄墨流しかな  

熱燗や四十路祝はず祝はれず

悼水原秋櫻子

遥かなるひかりとなれり夏燕 

裸木の落葉松をわが師と仰ぐ

青刈りの藁の香勁し注連作

鹿徒りゆく月明の結氷湖

啄木鳥こだま湖凍らむと蒼みけり

 梟の遠鳴く霧氷月夜かな

雪林に己が踏み跡のみの途

鶏合軍鶏の蹴爪を研ぎて待つ 

人むれに離れて仰ぐ桜守

とめどなくなりし月夜の花吹雪

糶箱を逃げ出す蛸の糶られけり

草川にゆふべ風立つ梅雨蛍 

流燈のあとを夕闇つつみゆく

蒼穹にひと刷の雲冬桜

悴みて嘘と知りつつ諾へり

浅間嶺に雲の凝る日や大根干す

海よりの朝日あふるる雛の間 

山の端に明星ひとつ霧氷林

落葉松を雪解かすみのつつみゆく

行く雁に筑波嶺雲をひらきけり 

峡の日を聚めてこぞる松の芯

落葉松の径ひとりゆく西行忌 

夕闇の降りくるしだれ桜かな

 牛の子の親恋ふ八十八夜寒 

邯鄲の野を夕闇のつつみくる

消ゆるまで吾子の流燈見送れり

落葉松に木兎の眼燃ゆるそぞろ寒

扇置きすぐ戻る席外しけり

壺に挿し牡丹の客を雨に待つ

菊車去りても靄のにほひけり

下りて来し山雲にほふ花杏

鴫下りて渚のいろの鳥となる

押し進む種蓮舟や蓮植うる

芝に寝て雲みる天皇誕生日
肩車して軒菖蒲子に葺かす

葉隠れの甲斐駒あはし葡萄摘

寝袋の父に掛け足すわが毛布

流れつつ女雛が仰ぐ峽の空

おのが火を慕ひて蛍水に落つ

草虱つけきて遠出隠す子よ
たばしれる山雨に炎立つ精霊火

煌めきて月下無韻の霧氷林

園児服日々きて待てり入園日

はふりたる鼠花火に追はれけり

鯵刺やひかりが綴る遠渚
遠花火見飽きたる子の庭花火
桑括り風音ひとつづつ失せぬ

母を焼くなり霜晨の白けむり

浜に干すヨットの幾帆燕来る

牡丹雪吾子焼くけむり淡くながし

みづうみの未明のひかり朴咲けり
瀬音いづこより水無月の山毛欅林
呼び合はす真闇の奥の虎鶫

碧潭の底まで透きて冬に入る
切株が噴く檜の香雪降れり
朝はひかり夜は月讃へ咲く辛夷
ひとすぢの罅が息づく結氷湖
スケートの靴が木椅子に夜の湖畔
霜晨のひと刻けぶる野の一樹
夕雲はみななびく雲花辛夷

小鳥らのこゑこぼれくる挿木かな

山月に落葉松霧氷燃え立ちぬ

風花の宙をあふげば白根聳つ

雲中に蔵王権現雷火立つ 

翅をもつものかがやけり稲架日和

地より湧く暮色紫式部の実

邯鄲のこゑの奥より夜風立つ

こころにも風つのる夜や葛湯溶く

凍鶴の地に曳く影も凍てにけり

漆黒の闇の波うつ花かがり

佐渡の灯の怒濤に失せぬ鰤起し

綿菓子を含めば春のひろごれり

筒鳥のこゑより暁けて山上湖 

暮れてなほ天に浮く富士青葉木

邯鄲のこゑのしろがね綴りけり

流れゆく雲の絹ずれ秋夕焼

鶏小屋につららの太りゆく月夜

斑雪山赤松も日も濡れにけり

暮るるほど湖みえてくる白露かな

凧あがりきりて海の日あつめたる

春雪の川に降りこむとき迅し

仏法僧山なみ暮れてより聳ゆ

富士あはし梅雨の一番星あはし

星ひとつ飛び落葉松の闇深し 

蛇笏忌の山水たぎちつつ澄めり

落鮎に瀬々の白波立つゆふべ 

邯鄲のたそがれの声地より湧く 

新涼の落葉松はわが母なる木 

大瑠璃や岩壁を雲騰りゆく

街はづれにて寒柝を天に打つ

麦秋の日のゆがみ落つ利根磧

幾氷柱鎧ひて湯滝とどろけり 

冬薔薇を出窓に飾る旧市街

白樺のあはき葉かげを踏みて秋

初雁のこゑ暁闇の湖に落つ

落葉松の夕空かけて時雨虹

鶏鳴に明けて湖畔の霜強し

晴雪の湖わたりくる啄木鳥こだま

月明に白鳥珠となり眠る

雲影の沖より寄する磯菜摘

夕月のいろに干瓢乾しあがる 

駒鳥のこゑに落葉松明けゆくも

万緑の宙より落ちて滝となる

甲斐駒は天空の山朴咲けり

街の灯を見下ろす丘や青葉木

子の声にしたがふ齢時雨寒

寒泳のかげ川底をすすみけり

葉を落とし落葉松風の樹となりぬ