愛ね、暗いね。

あるいは小さな夜の曲

私と俳句

この度、エッセーを書かせていただくことになりました。平成十八年卒です。幾つかの若手向けの俳句コンクールでの入賞を機にお声をかけていただきました。お目汚しにて恐縮ですが、今回は「私と俳句」について書かせていただきます。

まずは同窓会報らしく、高校での思い出を一つ書きましょう。数えきれないですが、折しも亀山郁夫先生(昭和四十二年卒)の新訳が発刊され、ドストエフスキーにのめり込んだことなど、大変懐かしく思い出します。

 その後運と縁が重なりまして司法試験に合格。修習(法曹になる研修)は京都に配属されました。毎週のように寺社仏閣をめぐり、日本の伝統の奥深さに魅了されました。

 修習も終わる頃、試験勉強に嫌気がさして、ふと図書館で藤田湘子『二十週俳句入門』を手に取りました。韻文としての俳句を推す姿勢に深く共鳴するとともに、この作句方法なら自分にも可能ではないかと思わされました。

俳句の魅力とは何でしょうか。ともすると変わらぬ毎日を過ごすような感覚に襲われることがありませんか。

俳句は自分だけの小さな感動・気づき・発見、こうしたものを詩として、読み留めることを可能とします。また季語を知ることで、自らに感動をもたらす契機が増えます。さらには、句会などを通じて、その感動を他人と分かち合うことができます。

折しも受験生であった私には、俳句は心の支えとなりました。今でもそうです。運命的な出会いでした。

栃木に戻り、父の法律事務所で勤務を始めると同時に、湘子の師系を辿り、その抒情性に感銘を受け「馬醉木」の門を叩きました。「馬醉木」では根岸善雄先生に一から鍛えて頂きました。最初の句会では、ほとんど点が入りませんでした。ですが、根岸先生の自然詠の静謐な抒情、韻文としての格調の高さに「馬醉木」に学ぶことを秘かに決意しました。

程なく「馬醉木」への投句の他にコンクールへの応募を始めました。落とされ続けましたが、応募に際しての推敲などを通して、実作の力と選句の力を育んで頂いたように思います。

俳句は他人と座を囲むことの楽しみがあります。いくら学んでも、思うことを十七文字で人に伝えることは難しいです。だからこそ誰かとわかりあえた瞬間の楽しさはかけがえの無いものだと思います。

また山本健吉『現代俳句』は俳句評論への目を見開いてくれました。俳句の魅力を余すことなく伝えてくれる必読の書ではないかと思います。

さらに感染症拡大に伴い句会が減ってからは、万葉集から日本の詩歌を自分なりに咀嚼してきました。上代から連綿と続く詩歌の歴史の最前線に立つ思いで、これからも俳句を作り続けるつもりです。