愛ね、暗いね。

あるいは小さな夜の曲

尾崎紅葉 『秋の声発刊之文』

俳諧久しく衰へたりと雖、人間は恋無常の古の哀を尽し、地は山水生植の姿を今に改めず、天象は二句より万世に続きて、月は定座を長へに、春は長閑に霞み、秋は寂しう雨降る夕、斯道の好(き)人ども聴雨の燈下に会して、乱吟の仮初に戯れしも、彼は風調のをかしきに遊び、此は姿情の新しきを探るなど、いづれか一癖無きはあらざりけるを、すねものどもの迭に棄てがたくや、その夜の奈良茶一升に百年風雅の義を結びて、秋声会とは折から庭前の興を感ずるままの名にして、微衷は道の滅亡を前途に憂ひ私に志す所は明治の俳諧を興さむとなり、されば月並の会席には各吟才を振い、工夫を宿題に費やしては偏に虚実の妙用を明むべく、さしも連衆の俳腸を敲いて凡そ万余章を得るに及びて、歳並に一順せり、時や到れる哉、世上の俳風漸く変じて、古池の濁れるも知新の浪を揚ぐるに似たり、抑も秋声会の此の挙あるは、今にして始めて説くべきは説き、学ぶべきは固より学ばむと、心を向上の一途に行脚の門を出づるなりけり、我沿道の風土幸に此志を納れて、道のために一宿一飯の助力をおしみたまはざれと云爾、

明治二十九年十一月 十千万堂 紅葉