愛ね、暗いね。

あるいは小さな夜の曲

水澄む

例えば画家が絵を描くのは物を見て感動するからだ。生活のためということは別にして、感動がなければ描かないだろう。

かつて梅原龍三郎は富士山を見て感動し、傍らで画を描いている友人に、「もっと大きく富士を描け」と言ったそうだ。そしてその友人が稲を描くのが難しいと言ったら、「なあに、点々で描けばいいのさ」と応えたという。この逸話でも分かるように、「感動」というものは形ひとつひとつを性格に描くことではない。したがって対象そのものの形を性格に描くことが「写生」ではない。

感動は動、しかしフォルムは枠、静なるものである。感動をいかにしてキャンバスに定着させるかが大事なのだ。時にデフォルメがあり、また省略がある。写生を通しデフォルメを、省略をひとつのキャンバスに定着させなければならない。感動は強い分だけフォルムを侵す。だが抽象でない限り、イメージさえも具象化を要し、デフォルメはあくまで形の中に容認されなければならない。 橋本榮治


f:id:inamorato:20231101111400j:image