愛ね、暗いね。

あるいは小さな夜の曲

2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

若山牧水

春真昼ここの港に寄りもせず岬を過ぎて行く船のあり

「俳句の造型について」金子兜太 昭和32.3及び32.3「俳句」

「造型」は直接結合を切り離し、その中間にー結合者としてー「創る自分」を定置させようとするものなのです。そして、その場合「観念投影」者たちの「自己という人間」の表現に払われた努力と、新興俳句の人達の構成操作の着目の双方が、是非とも引き継がれ…

高村光太郎「造形美論」

(造形美とは)すべてそういう類の生命感をそれぞれの技術によって得ようとすることである。

フィリップ

ディレッタンティズムの時代は過ぎた。今や野獣の生きるべき時代である。

返り花

解体のビル折れ曲がる残暑かな 那須淳男 肘打ち合うて敬老の日の別れ 平子公一 一人遊びに慣れてトマトを丸かじり 西川織子 火の如き望郷夾竹桃咲けり ほんだゆき 木ノ実落ちつぐ胸奥の谺かな 同上 波の岩波立たぬ岩秋涼し 小田司

エールビール

転ぶ子にちちんぷいぷい花野行く 徳田千鶴子 長き夜や気づけば遅きことばかり 同上 稲びかり言葉探して会ふ人と 同上 敗戦日生きて愛さず愛されず 渡邊千枝子 髪黒き母より知らず秋袷 同上 大き帆に校章掲げ航く九月 小野恵美子 喧嘩神輿駆けて海道沸騰す 同…

茂林寺

分福の福の字は化け狸かな 分福の福の字の化け狸かな

金子兜太 俳句と社会性(アンケート)s29/11「風」

社会性は「素材」なりとする意見は、社会的事象が意識的に素材として採り上げられる、その現象面のみをみたもので、根本を見ていない。ただ、この意見から教えられるのは、そざいとしてのみ扱う者に対する警告としての意味である。感動がないから、スローガ…

suzumeya coffee

白木蓮咲く水音の空のいろ 梶原三邦 永日や波のかたちの皆違ふ 鈴木貞雄 映像の癌美しや寒燈 高野ムツオ 夕空や群れて淋しき曼珠沙華 徳田千鶴子

秋元不死男 「もの」と俳句 s29.9「俳句」

俳句をつくるときはまづ俳人にならなくては駄目なのだといふ。俳人になるといふのは、完成を目指して俳句をつくる詩人になるといふことであります。 象徴ではなく「もの」の生命感をつかまへようとしてゐる。

「風景俳句」楠本憲吉 (s28.4「俳句」)

今日の風景俳句とは、畢竟感性的なリアリズムの上に立ち、浪漫詩的精神の場に繋るものであらねばならない。

クロノスの舌 富沢赤黄男 薔薇 s28.1〜

「寓意」は常識的であり、「象徴」は非常識である。 俳句の「滑稽」は往々「寓意」の常識性の場を指して居る。が「象徴」はむしろ「痛苦」であり、間隙を辞さぬ烈しい応射である 「寓意」は妥協的であり、「象徴」はむしろ拒否的でさへある。 象徴は間接的な…

俳人格 平畑静塔 馬酔木s26.4

俳人としての人格完成とは、具体的に云ふならば、俳句を通して世に処し、俳句のために生きるといふことである 根源を追ひつめること俳人の生活なのである。さうして高まってゆくのが俳人格といふものなのである。我々には俳句の場として以外の生活はないはず…

「運命に安んずる」高濱虚子「立子へ」より(玉藻)

姉は姉、妹は妹、世上の人は世上の人、皆それぞれの運命がある。運命に安んずるか、安んじないかだ。安んずるとは、境遇から来る幸福を意識することだ。(要約)

俳句カレンダー2022101112

象の背な越えて広場に小鳥来る 藤井圀彦 鶺鴒の早瀬の石に彈みけり 金沢伸展 ふるさとの青空連れて小鳥来る 高橋康代 虫送る火のしんがりに神の闇 百合山真苗 秋の雲よりへら鮒の釣られけり高宮義治 萱の穂の濡れ色風を離さざる 良知悦郎 白山へ一礼をして松…

八ヶ岳

鈴虫や闇の舞台をほしいまま 大高霧海 馬追のみどり透くまで鳴き通し 及川茂登子 初萩のしだれはやがて白き風 佐々木青柚 馬柵いつか花野の柵となつてをり朝雄紅青子 それぞれに違ふぬくもり秋灯 渡部美知子 金継ぎの金の細さよ二日月 辰巳奈優美 野分晴鼻を…

朝顔のふるへる水をかけにけり 今瀬剛一 水引草山に近づく径ぬるる 石原英子 溝蕎麦や水車は水を遊ばせて 今順子 朝顔の庭はきやすき男下駄 梅津智子 流れ星をさなき願ひにこそ光れ すずき巴里 新涼や名画を運ぶ白手套 武田佐自子 しんぞうをドンと花火がお…

水原秋櫻子

完全に美しい景を完全に美しく詠む修行は必ずなさねばならぬことだ(俳句とエッセイs48.6)

福永耕二

美は感動を孕む沈黙である (「沈黙の詩型」より)

福永耕二 「沖」昭和46年5月号 「秋櫻子と蕪村」

伝統とは古いものの中に僕らがよい物と認めて継承する対象であり、それを現在の僕らの生き方の中に生かす精神であり、後世に遺すべき僕らの成果でもある。

室の八嶋

松虫の鳴く夜は松の匂ひかな 沙平

根源俳句管見 神田秀夫

すべての知性の根底には感性がある。価値は一つの仮説、理想に基づく判断であり、すべての認識は、その仮説、方向を選ぶことを前提とする。これを選ぶものは感性であり、意志である。知性は冷却せる感性である。制止せる情緒であり、興奮せざる意志である。

詩経

詩は志のゆくところである

赤城さかえ 「草田男の犬」

戦争は、実に克明にすべてのものの本質を暴け出させた。が、さらに戦後の混乱期はその戦争さへがあばき出せなかったものの本質をも克明にさらけ出させてゐる。 もとより作家の思想といふものが作品の価値を決定するのは、その思想の位置そのものではなく、そ…

山居 萩原朔太郎

八月は祈祷、魚鳥遠くに消え去り、桔梗いろおとろへ、しだいにおとろへ、わが心いたくおとろへ、悲しみ樹蔭をいでず、手に聖書は銀となる。

感傷の手 萩原朔太郎

わが性のせんちめんたる、あまたある手をかなしむ、手はつねに頭上にをどり、また胸にひかりさびしみしが、しだいに夏おとろへ、かへれば燕はや巣を立ち、おほ麦はつめたくひやさる。ああ、都をわすれ、われすでに胡弓を弾かず、手ははがねとなり、いんさん…

下り簗

また違ふ香水過る夜会かな 吉田千嘉子 うしろよりよき風のくる土用灸渥美尚作 朝の蝉井戸の周りの濡れて居て 栗原憲司 河馬がばと炎天の水割りにけり 谷口智行 円陣を組んで噴水立ち上がる 頓所友枝 巡礼のリュックをおろす泉かな 大北昌子 子の肩のてんたう…

じょうげんのいち

初鴨や穂高の霧に池移り 水原秋櫻子 紅葉せり松葉の上に枝を垂れ 同上 紅葉より赤き鞍おき森の馬 有馬朗人 恋捨ててセーター黒き黄葉期 鷲谷七菜子 みちのくの鮭は醜し吾もみちのく 山口青邨

高浜虚子

黄金虫擲つ闇の深さかな