愛ね、暗いね。

あるいは小さな夜の曲

2022-01-01から1年間の記事一覧

石牟礼道子

決して憎悪がないわけではありません。しかし、それを抑えて、嫌いになっていた自分の村をもう一度愛しなおす。ですから闘いなんです。憎み返さないというのは自分との闘いだ。

『下町育ち』萩庭一幹(2022年.ふらんす堂)を読む

『下町育ち』は萩庭一幹の第一句集。馬醉木同人会幹事長。 序 德田千鶴子 15句抄。明確に章ごとのテーマがある。第一章は久保田万太郎や永井荷風のような下町の情緒。それは水原春郎師を思うところも在るだろう。第二章は里の風景。第三章は旅吟。第四章は…

入りて問ふ右も左も牛小屋にてにれがむ牛の我を見上ぐる 立ち上がるおほどかにして肥えし牛かかる善き牛に触れしなかりき 厚着して人等働く冬早くその冬長き国の思ほゆ 時雨する伯耆の国に一夜寝るその大山に雪ふるといふ 冬の森の中に古りたる一木ありその…

はつふゆの月

花をへし桜の若葉朱になびく湖の光に遊ぶ日もなし 土屋文明 鴨一羽ゆたけきは幾年ぶりなるぞその青首を割きつつ食らふ同上 追悼斎藤茂吉 ただまねび従ひて来し四十年一つほのほを目守るごとくに 同上

カテナチオ 森本大輔

結果がすべてじゃないよ ただきっと 結果がすべてと信じて努力した過程がすべてだ

冬の月

砂つみて去りゆく舟の上にして炎は人の間よりみゆ 土屋文明 杉の下に寺あることの変らねば落ちたる水のとはに清しも 同上 谷いでてここにせせらぐ水の声一夜ねむらむたのしかりけり 同上 雨のふる小野をひねもす見て居りぬ暮方になりて光さしたり 同上

江成常夫 

鎮魂の心、弔う心をもって写真を撮ってきた。 社会や歴史観、それが奥にないと、相手をどう撮ったらいいかわからない。 見えない部分を映し出すのが写真ですから。

藤井あかり 俳句界2022年11月号より

窓越しに君には見ゆる冬の雨 藤井あかり 二人でよく通った喫茶店。冬には温かい飲み物を注文し、とりとめのない話をしたり、お互い好きな本を読んだりしてすごした。 不意に君が「雨が降ってきたよ」と言ったので、顔を上げたけれど、私の座っている席からは…

ほととぎす痛恨常に頭上より 山口草堂 木から木へこどもの走る白雨かな 飴山實

立冬

柳吹く九月九日君を訪ふあるひは永きわかれかなしみ 土屋文明

平井照敏 俳句の音楽 s54.10俳句開眼

短い詩型は一種の暗号で、短い形で、最大の拡がりを持とうとする

秋惜む

わが馬酔木ほの紅ににほひ来て朝なあさなのたぐさなかりけり 春暑き午後の光のてりつけて青草の土手に潮みちたたふ 向ふ岸に淡き夕日のさし居りて草に満ちたる潮に下りゆく 東みなみの空に浮く雲かがやきて東みなみの風は吹くかも 以上 土屋文明

虚子俳話 s34.1

旗のごとなびく冬日をふと見たり 高浜虚子 庭に佇んで居たときのことである。大空には冬日が小さく固くかかっていた。 風もなかった。 音もなかった。 鳥も飛ばなかった。 人も居なかった。 私が頭をめぐらした瞬間に今まで小さかつた冬日が大きな旗のごとく…

萩原朔太郎

詩は真実のことを嘘のやうに言うものだ

永田耕衣 山林的人間 s45.10俳句評論

永遠は哀愁の肉体であり、また心でもある もうじき野菊の花が咲き乱れる。力むことはなかろう。

西脇順三郎 旅人かへらず

草の実の ころがる 水たまりに うつる 枯れ茎のまがり 淋しき人の去る

弓張月

降りてくる春の帽子を押さえつつ 黛まどか祈るべき天とおもえど天の病む 石牟礼道子

藤田湘子 私詩からの脱出 s45.4俳句

伝統とは、受け継いだ遺産の上に、その時代の新しい息吹をつぎこんで、時代の要請に応え得るいとなみだ

俳諧大要 正岡子規

空想と写実と合同して一種非🈳非実の大文学を製出せざるべからず

アンナ カレーニナ トルストイ

少し持ちこたへて、弾ける。その泡は私だ。

秀作の秘密 飯田龍太 昭和42年4月23日毎日新聞

いちばん大切なことは、じょうずな俳句を作る方法はあるが、立派な俳句の作り方は教わりようがないということ。 それをみずからのこころの中に捜し求めているひと。そのひとが、俳句の秘密を知った人だ

十口抄 宗祇

凡そ歌人と云は、ただ情欲を離れ、心を空虚にもちて、いささかも執をとどめざらんことなり。されば歌人たらんは人は、花に対して花を見、月に望みては月をあはれみ、当一念一念の風景をあはれみて、二念ヲとどめざるべきなり。ただ歌人は、儚きを下とすべき…

徒然草 第百五十五段 兼好法師

四季はなほ定まれるついであり。死期はついでをまたず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死あることを知りて、まつこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る、沖の干潟の遥かなれども、磯より潮の満つるが如し

佐藤鬼房「俳句の風土性にふれて」s38.3俳句

風土というものは、人間のあるかぎり、歴史的な時間性がかかわってあるものだ。私にとって、風土は人間の生成する地盤のあらゆるものを指したい。 俳句も風土や歴史を除外しては考えられない。 歴史的な、人間的な地盤の絡み合う風土が詠われてもよいと思う…

上弦の二

徘徊の母を日傘に包み込む 江藤隆刀庵 雪がふるおとぎ話をするやうに 赤繁忠宏 空也の声空也を離れ陽炎へる 岩本茂

三日月ロック

雲は雪の芯となりゆき昼灯す 安藤喜久女

若山牧水

春真昼ここの港に寄りもせず岬を過ぎて行く船のあり

「俳句の造型について」金子兜太 昭和32.3及び32.3「俳句」

「造型」は直接結合を切り離し、その中間にー結合者としてー「創る自分」を定置させようとするものなのです。そして、その場合「観念投影」者たちの「自己という人間」の表現に払われた努力と、新興俳句の人達の構成操作の着目の双方が、是非とも引き継がれ…

高村光太郎「造形美論」

(造形美とは)すべてそういう類の生命感をそれぞれの技術によって得ようとすることである。

フィリップ

ディレッタンティズムの時代は過ぎた。今や野獣の生きるべき時代である。